2018.8.19 神の口から出る一つ一つの言で生きる (マタイ4:4)

この聖句は旧約申命記8:3「人はパンだけでは生きず、主の口から出るすべてのことばによって生きる」からイエスが引用されたものである。
パンは、からだの維持に必要だが、それ以上のものではない。神のことばは、わたしたちのあらゆる必要を満たし、解決するだけでなく、神の栄光・誉を現す働きをする。

ヨハネ1:1-3は、神のことばと神の関係を語っている。
たとえば、千円札・五千円札・一万円札は材質は紙だけど、金額分の価値をもっている。
日銀が発行し、価値を保証している。神の口から出たことばも同じ。神から出て、神がその価値を保証する。
ずいぶん前の話だが、ある婦人の孤独死が新聞の記事になった。
役所の人が冷蔵庫を開けてみると中は空だった。だが、ふとんの下には六百万円ほどのお札があったという。持っていても使わなかった。クリスチャンはどうか。神の祝福を受けるための、いろいろな神の言を聞いて知っている(持っている)。それを日々の生活や人生の中で、頻繁に使っているだろうか。
あまり使っていないなら、神の言葉も「実益のない絵に描いた餅」に等しい。では、みことばを使うとはどういうことか。

ヨハネ4章の「カぺナウムの役人」を例にみよう。彼の息子が病気で死にかかっていた。
彼はイエスさまに助けを求めた。だが、あいにくイエスは三十数キロ離れたカナに行っておられた。役人は諦めることなく、5時間かけてカナに向かった。
イエスを探し当てると、「どうか死なないうちに来て下さい」と縋った。疲れ果てた父親の顔を見て、イエスは一言言われた、「お帰りなさい。あなたの息子は助かります」。
エッ!来て下さらないのですか? おそらく息子の命はそれから5時間ももたなかったのでしょう。父親は複雑な心境だったが、「息子は助かるのだ」の言葉を信じて、再び帰路の人となった。
主の言葉を信じて行動に移す。それが、「みことばを使う」という意味になるのだが、心の戦いが発生した。イエスのいたカナから遠ざかり、家に向かうにつれて、家の息子の安否が気がかりになる。
心が再び激しく揺れ動いた。だがその戦いの中で役人は、イエスの言葉を堅く信じ、強い意思で信仰を貫いた。勝敗はそこにかかっている。彼は勝った。しばらくすると家から使いが来て、「息子さんは助かりました」と告げられた。

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