18.7.22 幼子イエスへの訪問者

1.ルカ2章 ユダヤのベツレヘム近郊で、夜、羊の群の番をしていた者たちに御使が現れ、「今日ダビデの町に救い主がお生まれになった。
飼い葉桶に寝かされているのが、あなたがたに与えられる印である」と言った。すると、おおぜいの天使の群が現れ、「いと高き所では神に栄光が。
地の上では、御心に適う人々に平和があるように」と賛美した。ここは平和よりも平安が適訳だと思う。
地上の平和というより、神の「御心に適う人」の心(霊魂)に平安を与えるために来られたからである。神からの「罪のゆるし」の平安と、聖霊とみことばによる「神の国体験」による霊魂の平安である。
貧しい立場の羊の番人にまずイエス(救い主)出現の知らせが与えられた。いまもそうである。
この世で、さいわいの薄い者、生きる喜びのない者に、神はイエスを知らせておられる。イエスによって「神の国」に富む者となるためである。
ハンナは子どもがなかった。第二夫人から見下されていた。ハンナは悲しみ、神に祈り求めた。与えてくださったら、神にささげますと言った。与えられた。サムエルである。サムエルはイスラエルの救いに大きな貢献をした。貧しさを恥じるより、神に祈ろう。

2.マタイ2章 東の国の博士たちが星を見て、ユダヤに新しい王が誕生したと知って、はるばる千キロの道を旅してエルサレムに来た。
星の動きや変化を見て、それを地上の動きや変化の予兆と読み取る占星学者である。
自然をよく観察して、そこから神のメッセージを読み取る。自然は第二の聖書だと言った人がいる。
博士らはベツレヘムでヨセフ夫婦と幼子イエスに出会った。神が与えた王の家とはとても思えない貧しい住まいだった。
だが博士たちは目の前に見る貧しさに躓かなかった。東で見た星から受けたメッセージを堅く信じていた。
黄金・乳香・没薬の入ったそれぞれの壺を両親に渡し、恭しくイエスを礼拝した。
イエスからは一言の言葉も得られなかったが、喜び、帰って行った。彼らがささげた贈り物はこの後、エジプトに逃避した時、生活費や諸経費に役立った。
博士たちの来訪は、神によるものであった。ヨセフ夫婦は何も知らなかった。
神が用意されたことだった。アブラハムがイサクをささげた時、神が前もってイサクに代わる“羊を用意しておられた”ように、神はわたしたちのために、わたしたちの必要をすべて用意しておられる。
「主の山に備えあり」(創世記22:14)。常に主である神をほめよう。

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