2018.6.10 テサロニケ第二 3:1-2

1.1-2 ここでパウロはテサロニケの信徒たちに二つの祈りをリクゥエストした。
 「みことばがコリントでもはやく広まるように」。「不都合な悪人(新共同訳:道に外れた悪人)から救われるように」。
ここの悪人とは、神の善であるキリストの福音に逆らい、福音を伝える者、信じる者を迫害し、危害を加える者たちをいう。

 ヨハネ1:1-5が神のことばについて簡潔で肝要な紹介をしている。
神から出た「ことば」を「みことば」と呼ぶが、みことばは神と一体のものである。神の思いの具体的な表れが「みことば」である。
したがって、神を信じるとは、神の「みことば」を信じることなのである。神を愛するとは、「みことば」を愛し、従うことなのである。この事を心に明記しよう。

 ヨハネは「みことば」の働きを三つ挙げた。
➀創造の力。神は言葉を発して万物を創造された(ヨハネ1:3、へブル11:3、創世記1章)。 
②人の霊魂に命を与え、③光を与える。②③は、詩篇23:3でいう「わたしの魂を生き返らせ、わたしを正しい道に導かれる」に相当する。
②は、ローマ15:13で言えば、神が与える「希望・望み」である。それを信じて心に受け入れる者には「喜びと平安」が満ち、霊魂が生き返る。
③は、心の「やみを照らす光」である(ヨハネ8:12、コリント第二4:6、エペソ1:17-19)。正しい道とは、神を知る道である。みことばと聖霊によってのみ、正しい道に導かれる。キリスト信者は、「みことば」を知る事を最優先事項としなければならない。ひまができたらとか、気が向いたらとか言っているようでは、“なまくら信者”ではなかろうか。意識を変えよう。

 もう一つ大切な事を言えば、みことばの「種まきのたとえ」である。みことばを心に「受け入れ」(マルコ4:20)、「しっかり守り、耐え忍んでいく」(ルカ8:15)こと。
さらに、努力も必要。時間も必要。詩篇1:2-3に、「昼も夜もそのみことばを思う。
時が来ると実を結ぶ」とある。祈る時も、みことばを思いながら祈る。神もキリストも、ご自分の「みことば」を何よりも重んじておられるからである。みことばを心に思い、感謝し、そうなると信じて、神とキリストを賛美していく。それが喜ばれる祈りである。 

 カインは両親の話を聞いても悟ろうとせず、自分の思い・考えで神にささげた。弟のアベルは両親の話を聞いて、神の思いを悟り、神の思いに従うささげものをした。

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