2018.4.1 復 活

「このイエスを、神はよみがえらせた」(使徒2:32)。
イエスさまは、創造者(神)に対する人間の不服従の罪を贖うために(ゆるしを求め、対価を払う事)、十字架刑を受けて死なれた。これは人間に対する最大の愛である。
また、イエスさまは神に自分をささげ、神に対しても最大の愛を表された。だから神はイエスをよみがえらせ、神の右に上げられ、聖霊を与える権限を受けられた(使徒2:33)。
復活とは、元の状態・位置に戻ることではなく、それより「はるかに優った状態・位置につく」ことを言う。

 復活は神による奇跡のみわざである。通常、復活と言えば、肉体の死後の事を指す。
十字架のイエスの死を、自分の罪の贖いのためだったと信じる者は、神による罪のゆるしを受ける。ゆるされた後、神に従順しつづけるなら、肉体の死を迎えても、イエスと同じ復活に与る。天使のように、「霊のからだ」が与えられ、天の御国で生きる。

 創世記37章―47章に、兄たちに売られ、エジプトで奴隷となり、罪がないのに罪びとにされて牢獄に入れられたヨセフの実話がある。十余年後、ヨセフは王の夢を解明した功績で総理大臣になった。その夢の解明に従い、7年間の飢饉からエジプトを救った。
一方、ヨセフの父や兄たちの家族70人もその飢饉の時、ヨセフに救われ、エジプトのもっとも良い地を与えられ、イスラエル民族にまで成長していった。
神は飢饉状態のヤコブ一家を救うため、前もってヨセフをエジプトに遣わされたと言える。同じく、わたしたちが死んだ時(つまり肉体の飢饉)、イエスが迎えてくださるよう、前もってイエスは天に上げられた。

 「一粒の麦。死ななければ一粒のまま。死んだなら豊かな実を結ぶようになる」(ヨハネ12:24-25)。「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見出す」(マタイ16:25)。

 『ルツ記』のナオミは嫁に頼ろうとする自分を「捨て、死に」、神に頼ろうとした。すると神は嫁ルツの心に働きかけられ、ナオミと生涯を共にした。
ルツも自分に死に、捨てた。神は彼女にボアズを奇跡的に与えられた。
使徒行伝10章で、ペテロは幻を見た。御使の言葉を聞いて、自分を捨て、死に、異邦人コルネリオの家に入った。請われるままイエスの話をした。
すると、聖霊が下り、そこにいる者たちはみな異言を語りだした。ペテロは驚いた。ありえない事(奇跡)が起こったからだ。復活にしろ、何にしろ、自分の思いや考えを捨てて、神に栄光を帰すなら、神はその時必要なあらゆる奇跡を行われる。

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